良い本とはなんだろうか

読書を趣味としているとおすすめの本を聞かれることがある。

 

ただここで私にとって良い本であっても、誰かにとっては良い本ではないということがあるのではないか、という気がする。

 

すると、本における「良さ」というのは、各人の尺度による、というような相対主義的な立場を持ってしまいそうになる。

 

しかしここで一歩踏ん張って、本における「良さ」について仮説を立ててみたいと思う。

 

結論から言うと、良い本とは読者の思考を推進してくれるような本であるように思う。

 

思考を推進するというのはどうゆうことなのか。

 

例えば、ある本を読んでいて、読みながら「この箇所で言われているAという命題が真だとすると、矛盾が生じるのではないか?」と言ったような思考することを働きかけてくれるような書籍は良い本だと思う。

 

そうすると、私がここで言語の意味として「良い」と言っているのは、思考することになると思う。

 

もし上記の仮説に賛同してくれるとしたら、仮に各人によって良い本が異なるということを否定することもないし、また、思考を働きかけてくれることが良さなのであれば、同時に主語となる読者の興味関心や背景に基づいて良さが異なることも説明がつくように思う。

 

ただ、この仮説は良い本とは何か、という問いに対して、明示的に答えられていないという点で、問に対する答えになっていない、という指摘もありうる。

 

なぜなら、どれが思考することを働きかける本なのかは各人によって違う、ということを示したのみで、それが一体何なのかについては答えていないからだ。

 

また、厄介なのは、この問いによって、対話が生まれないということでもある。なぜなら、思考するのは読者であって、その読者と、この問いに答える私は読者(答えを求める人)に対して他者であるからだ。

 

さらに都合の悪いことに、私は本を読んでいて思考が展開してゆくことがあるが、他の人がそういった経験ができるかどうかがわからない。

 

となると、この答えは私にとっては有意味かもしれないが、他者にとっては無意味な仮説になっているかもしれない。

 

そう考えると、この問いは私の個人的な問題として閉鎖され、それが他者に開かれていないかもしれない、という点で他者との対話が成立する問いではないのかもしれない、という気すらしてきた。

 

そうなると、この問いはナンセンスな問いに成り下り、皮肉的な意味での哲学的問いの一つとなるのだろう。