本質という概念を明晰にする作業

本質という言葉を聞くと、どこか深淵な意味があるような気がしてしまう。

しかし、私は物事を明晰に分析していきたいという欲があるので、この本質という抽象的な概念をより明晰に考えたいと思った。

 

私は以下のように本質を定義したいと思う(ただ言語ゲームの上では定義は意味を持たない。文脈の中でどのようにそれが扱われるか、という世界観なので、いま私が行っている作業は、言語ゲームのルールを定義する、という、実際の世界を直接見ることとは違うことに注意したい)。

 

・それが他と違うこと

・それが他のどれとも同じではないこと

 

ほぼ同じ意味の文が2つできただけだ。

ただ、本質という概念が実際に言語ゲームの中でどのように扱われているのか、を素描した時に、このような表現は在る一定の正しさが在るのではないかという気がする。

 

ここで考えたいのは、似た二つの文は、同じではないということだ。

 

前者をA、後者をBとしよう。

 

Aが扱う範囲は、それとそれ以外という排中律に従っている。

 

一方で、Bは他のどれとも同じではない、という集合の概念がある。それとそれ以外という対面的な関係から、いくつかのうちの唯一性という、群が前提となっている。

 

ただ、Bは「すべて」の概念が前提としてある。これは少し怪しい。なぜなら、他のどれとも違うことが分かるためには、対象範囲における全ての対象を前提として、そのうちのひとつである対象を検証する、という作業が必要だと思うからだ。

 

対象範囲における全ての対象はどのように特定できるのか。何を以て(理由)全てと言えるのかを明確にする必要があると思う。

 

そう考えると、本質を検討する上では、その対象が属するカテゴリを知る必要がある。それは色なのか、動物なのか、思想なのか。

 

このカテゴリが「すべて」を基礎付けるものだろう。

 

すると、対象の上位概念に、その対象が所属するカテゴリという概念が出来上がる。そうするとまたそのカテゴリの本質(各カテゴリをそれたらしめるもの)が出来上がる。

 

すると各カテゴリに対する上位概念が再び生成され、それは無限後退していくように思う。

 

すると、その対象の本質を明晰にしようとした時、その基礎づけを行うと無限後退が起こり、結果本質は明晰にできないことになってしまう。

 

この話はどこで間違えてしまったのか。