物質的な世界と一方で精神的な世界のあり方があると言うことについて

ECサイトを眺めながら、消費社会において構成された消費する機会として成り下がる人生ではなく、この私自らが選択し、またそれによってある種の豊かさを持つようなことを考えてみようと思う。 それは、書籍や、ある特定の思想についての探究であり、それ自体…

解体・分析の概念について

ある対象について考えたときに、それは理性の形式をもとに以下の三要素に分けて整理することが可能であると思う ・定義 ・条件 ・論理(メカニズム・因果・階層) ただ、基本的に対象は自然状態では上記のような構成要素を持っているわけではない。むしろ、…

すべての論理は客観的にそう成り立ちうると言う正統性を担保しているだろうか

論理は純粋であり、それは一般的な概念の全て、つまり普遍的な性質を持つかのように見えるがそれは真実だろうか? ある言明について、それがすべての主語に対応する対象を文法的には指定していたとしても、それが文法的にそうである、こと以上の意味を持つの…

どのようにある知的領域を獲得するのだろうか

ふと、こんなことを考えていた。 何か特定の分野について明るくなる、ということは、どのような経過を辿るのだろうか。 ある特定の分野に関わる単語を獲得し、その対象に関連する概念の数々を集める。その集めた概念が、数が増えるごとに類を成していく。 こ…

指向性について

私は、複雑な対象を分節化し、かつそれらの要素の原因・起源を特定することで当初複雑に見えていた対象を解体することで、再度自ら意味づけをする作業が好きだと思う。 複雑な対象を単純化する(Model化)のではなく、その複雑さを要素へ分解してから回帰さ…

ドメインが決まっていない開発会議の話

A:「どちらのDBに保存しても一応作れますが、個人的にはこっちのDBに作成した方がいいと思ってます」 B:「それってそもそもどのように情報が扱われて、サービスとしてどのような目的で運用されるか決まってるんですか。その情報の保有期限とか・・・」 ざ…

ビジネス要件とドメイン駆動設計

貨物業務を例にして 例1.1にて 「ドメイン駆動設計」の中で、貨物業務を例にドメイン駆動設計の実例が示されていたので、実例を踏まえてドメイン駆動設計とは何たるかの解像度を上げてみたい。 本書で示されているのは、当初コンテナの予約アプリケーション…

モデルとドメイン

前提 読解する上で、基本的な指針が私はある。それは、何らかの主張は、何らかの主張に対する反論として位置しているということである。 つまり、何かをわざわざ標榜するということは、それ以前に何らか問題となる課題があったり、著者の意見とは異なる言説…

ドメイン駆動設計を自分なりに翻訳する(はじめに)

モチベーション 先日友人からおすすめいただいた技術書が自宅に届き、読んでみたもののまるでわからなかった。 私の勝手な認知の構造として、何らかの前提が欠如した言説は理解できず、その言説を説明するに足る合理的な前提を用意すれば理解できないものは…

情報は均質に与えられるだろうか?

ふと、検索したり、調べることでなんでもわかるかのように考えることが多い。 ググればなんでも出てくる時代で、まずは調べることを重視される傾向にある。 確かに、それは理論的?には正しい。確かにキーワードをもとに検索エンジンで調べれば文字は出てく…

作曲におけるインターフェースについて

例えば曲作りをしようと私が思い立ったとする。 Mac Bookの標準アプリを使い、かつキーボードで音を作ることもできれば、鍵盤を買ってきてPCに繋ぎ、鍵盤から音を作ることもできる。 これは、どちらも音を作る、という形相的な意味で言えばどちらも同じ行為…

意味と記号 類似的なものと因果的なものの差異について

読書について考えてみたい。 本を読む意味についてである。 書かれたことを忠実に(これは果たして可能だろうか)理解するということを因果的に記号の意味を捉えることと定義してみよう。 一方、書かれたことから想像する内観の活動を記号の意味を類似的に捉…

道具としての存在と消費について

一見、フリーランスで働くことはメリットが多いように感じる。 確かに収入も上がり、時間の制約を受けないといった点ではメリットであろう。 しかし一方で、フリーランスとして求められることはその職能をクライアントのために発揮することであろう。 ここで…

内観におけるシニフィアンとシニフィエの考察

ある朝、目が覚めて怖いという感覚だけが残ってはいるが、その怖かったはずの夢自体の内容が忘れられているといったことはないだろうか。 このような何らかの感情と、それが表現される記号が乖離し、どちらか一方のみが残る、といったことが可能なのではない…

ツリーとリゾーム(自我について)

ひとつの直観から始めるとするなら、異なる場における私の違いについて、どこか虚実的で後ろめたさを感じたことがあった。 おそらくその前提には、私は統一的な存在である、といった命題を想定してそう思ったのだと思う。 しかし、私は統一的な自我のような…

知の発達段階について

思想的な言説を概観した時に、一つの仮説を立てることが可能なのではないか、と思う。 それは 1.定義 2.条件 3.反復 上記三つの段階を経て思想は発展することが可能なのではないか、ということである。 また、3.反復については、その思想を動的に定義する反…

時間を空間に変換する

時間とは何か、という問いに対して、以降では「物の運動である」と定義し話を進めようと思う。 本稿の目的は抽象的な時間という概念を空間化することで明瞭に指し示そうとするということである。 時間という概念を扱う際に、現在・過去・未来という三つの区…

合理性の限界について

中国は過去に農作物被害の元となっていたスズメを駆除するように民衆に働きかけ、結果、中国ではスズメが激減したという話を聞いたことがある。 これは、一見合理的な話のように思う。なぜなら農作物を食べてしまうスズメを駆除すれば、農作物を食べる動物が…

設計するということの性質についての思索

設計する、Designするということについて考えてみた。 一言で言えば、イメージを概念化することが設計なのではないか、という気がしている。 例えば、何か物を作るとして、その物を作ろうとしている時には、当然ながらその物自体は存在しない。 では、それを…

定数と変数についての観点からの差異について

実生活の中で定数だと思っていた要素が実は変数であったといったことがないだろうか。 例えば、今この生活に満足している私がいたとして、このときが未来も続いていくような、そんな帰納的推論の結果導き出される仮象的な未来像がある。 この未来像はどこか…

世界の複雑性をそのままに言語を通して描写するということについて

分かりやすさや明瞭に語ることについての価値のようなものはビジネスの世界で強い立場をもっているように思う。 それが自明に正しいことであり、そうあるべき、といった価値観から一旦距離を置いて、この複雑怪奇な世界をありのままに描写するということに主…

この意識の連続(現在)が過去の人物が持ち得たかもしれないという不可思議について

書籍の中にいる人物にも、この私が今ありありと感じている意識の連続によって成り立っている現在・現実という時点があり、またかつ、それに直面し、対峙していた「時間」というものがあったのであろう。 ただ、この私の現在・現実というものが如何なる足場を…

何者かになり得ないという外的な関心と、この私の在り方という志向性

# 憧れと、その対象とこの私の非同一性を根拠とした同一化の不可能さについて 偉人や周囲の人間に対して、憧憬の念を持ったり、そうありたいと願う人は多いだろう。 自分よりも承認されている人とそうではない私を比較した時に感じる差異によってよりそうあ…

「解体」という意味で以って、私は何を意図してして表現しているかについての考察

世界を解体すること、が哲学の役割であるとすれば、私はその「解体」という概念をどのような意図で使用しているか、ということについて、今一度考えてみる必要があるだろう。 そして、世界をなるべくゆっくりと見回し、それ自体を描写、あるいは解体していく…

教育という概念について

# 問題提起 一見教育には積極的な意味があるように感じる。 教育することで犬は「賢」くなり、人間はその可能性を広げることができる。 逆に教育されていない犬は野生的で、またその人間は不自由である。 ただ、これは一方で自由という問題を考えた時、果た…

メメントモリと反転する概念としての死

死を思うときに最初にイメージしたのは墓掘り人の姿だった。 それは、積極的に死へ向かう作業者としてのそれである。 それは指向する対象が死であり、その対義としての生はない。 むしろ、死が生を基礎付けているような感さえある。 ただ、ふと、メメントモ…

学びのあり方について思うこと

いわゆる「お勉強」といった意味での学びがある一方で、個人の体感としてある学びという概念の性質は「採掘(Mining)」に近いな、とふと思った。 どうゆうことかというと、西洋哲学について、あるいはプログラミングについて追求しようとしていくときに、感…

技術選定の合理さとポルシェの話

最近個人の趣味開発を始めて、技術選定をした。 バックエンドの実装するにあたり、言語を選ぶ上で、最終的にrustかGolangのどちらかにしようと思った。 個人的な感覚としてはrustにしたいという気持ちがあり、それをとりあえずは選択したのだが、それがいわ…

悩みがないということ

ふと、日々の生活の中で満たされた感情が常にあり、それが同時に満ち足りないなさを感じるという矛盾した感覚の中で過ごす時間があった。 平たく言えば、悩みがないことが悩みといった漠然とした状態だ。 この漠然とした状態の中で、それを肯定することもで…

Not from time to existence, but from existence to time.

In thinking about the theory of time I think that the theory of time is one of the questions that occupies a major place in Western philosophy. The concept of time, which we deal with on a daily basis in our lives, is often treated as a th…