差異が生まれるということ
差異を定式化することで、差異という概念を使う上での必須事項がいくつかあることがわかる。
差異を以下のように定式化してみる。
AとBという対象 と 特徴を示すC があることで差異と定義できる
上記の定式に従うと、仮に「Aが違う」という文が言明される場合次のようなことが言えるだろう。
それは、暗示的に比較されているBがあるはずであり、かつ、違う何かC(特徴)が含まれているということだ。
そうなると差異がある(Aが違う)と言い表したとしても、その言明が必ず「差異」という事態を示すにあたって必要な情報を含んでいるとは言えない。
発せられた文がそもそも「差異」という事態を説明する上で必要な情報を含んでいるかどうかという問題は、先に挙げたような差異という概念が至る事態を定式化しないことには導くことはできない。
Aが違う、と発話した時に、話している本人は、その違いをよく理解していると思う。明示的に文として、言語として表現されていなくても、違いを判断した本人にとってはBがあるはずで、また同時にその特徴としてのCがあるはずだ。
ただ、聞き手に、話している本人が認知しているBやCが認知されている保証はない。
すると、話している本人が、定式に当てはめずにBやCを省略して聞き手に対して発話した場合、聞き手はBやCを文脈から読み解くしかない。
多くの場合、こんな細かな話に躓くことはないのかもしれない。
その場の雰囲気や、ノリで暗示的な意味も人は受け取ることができるから。
ただ、ビジネスの現場では、さらっと一言で済まされることがある。
Aが違うから直しておいて、と言われた時に、それが一体何と何を比較した結果なのか、どこが正しくないのか、といった点の理解に苦しむことがあった。
その困惑した時の私が上記のような定式を使って何がわからないのかわかるようになれるようにメモとして残しておこうと思う。