学びのあり方について思うこと

いわゆる「お勉強」といった意味での学びがある一方で、個人の体感としてある学びという概念の性質は「採掘(Mining)」に近いな、とふと思った。

 

どうゆうことかというと、西洋哲学について、あるいはプログラミングについて追求しようとしていくときに、感覚としてあるのは「敷かれたレール」の無さだった。

 

どこかに定められた大きな物語があるのではなく、手持ちの知識や論理を使って大まかな方向(目的)に向かってなるべくまっすぐ歩くようにすること。

 

こんなことが、自分が今まで経験としてやってきた「学び」に近いように感じる。