定数と変数についての観点からの差異について
実生活の中で定数だと思っていた要素が実は変数であったといったことがないだろうか。
例えば、今この生活に満足している私がいたとして、このときが未来も続いていくような、そんな帰納的推論の結果導き出される仮象的な未来像がある。
この未来像はどこか誤りを含んでいるのではないか、というのが私の関心である。
この現在における定数的なそれらは、果たして真に定数なのだろうか。
定数であるからにはそれは不変であるはずだし、そのような意味で以って定数という概念の正当性は担保されているはずである。
しかし、その定数的なそれは、正統な意味で以って不変なのだろうか。
比喩的に語るならば、私は目の前の川を見て、この川がいつまでも穏やかなせせらぎを持ちながらあり続けてくれるだろうと思うのだろうと思う。
しかし、その穏やかはせせらぎは定数ではないだろう。
きっと雨が降れば川は荒れ、雪解けになればまたそれはそれ自体ではないはずだ。
そのように考えると、私が定数だと捉えたそれは、果たして定数なのだろうか、という検証が必要な気がしてくる。
不確かなものは推論の根拠としてはならない。自明なものから推論した結果が真理に到達できる方法であるとするならば、私はその自明性を何によって担保されていると判断すれば良いのか、といった基礎づけ的な観点に自然と関心が向く。
この問題はおそらく、観測する地点の問題なのだろう。
それは単に位置的な意味だけではなく、時間的な意味で。
そうなると、一体何が普遍的な判断の足場であり、またそれが自明なのか、という無限後退が生まれる。
すると私は途端に考える足場を無くしてしまう。