作曲におけるインターフェースについて

例えば曲作りをしようと私が思い立ったとする。

 

Mac Bookの標準アプリを使い、かつキーボードで音を作ることもできれば、鍵盤を買ってきてPCに繋ぎ、鍵盤から音を作ることもできる。

 

これは、どちらも音を作る、という形相的な意味で言えばどちらも同じ行為と定義して良いだろう。

 

しかし、インターフェースの違い(つまりキーボードと鍵盤)という点を加味すると私は全く異なる作業をしているのではないだろうか。

 

果たして、行為は形相のみを考慮した本質論的な観点から考えるべきなのか、質料的なインターフェースの観点も含めた身体論的な観点から考えるべきなのか、どちらなのだろうか。