悩みがないということ

ふと、日々の生活の中で満たされた感情が常にあり、それが同時に満ち足りないなさを感じるという矛盾した感覚の中で過ごす時間があった。

 

平たく言えば、悩みがないことが悩みといった漠然とした状態だ。

 

この漠然とした状態の中で、それを肯定することもできなければ否定することもできない、とった中途半端な日々の中でただ時間だけが過ぎていった。

 

ふと、Youtubeを見ると、平野歩夢選手の動画が出てきた。

 

少し古いもので、彼がスノーボードスケートボードの二刀流で夏冬のオリンピックを目指すといったものだった。

 

おそらく、合理的に考えれば、パフォーマンスを最大化することを目的とした場合、一つの競技に全リソースを割くのが正しい判断なのではないか、と思っていた。

 

ただ、その動画の中で彼の姿勢から感じたのはそういった合目的的なものではなく、挑戦する意志だった。

 

ふと、自分が最近新しいことや挑戦したり、ハングリーになる、といった気持ちが薄れていたことに気がついた。

 

それはある意味では安定なのかもしれないが、確かに実存的な在り方としてはハングリーさにかけているし、何より不安(あるいは希望)がない生き方のように思った。

 

どこか一見合理的にみえる選択が、主観的な感覚や情念に則したときに果たして何らかの「価値」を見出しうるのか、という点で考え検証する視点が「悩みがない悩み」を持っていた私には欠けていたのだな、と気付かされる良い機会になった。